2016年度・英文開示(招集通知・決算短信)速報

2016年11月24日

日本財務翻訳(株)
営業推進部統括マネジャー

臼井 俊文

山を登る二つの方法

昔読んだ小説をひとつご紹介。8千米級のヒマラヤの高峰征服の一番乗りを争っている時代、英国のバーバンクというある金持ちの登山家がおりました。彼は最新装備を整え白人ばかり10人の部下(現地のシェルパなど信用しません)を従え今まさに世界で最も険しい山に一番乗りすべく出発せんとしておりました。一方、麓のインドの寒村の寺院の境内に多数の人だかりがありました。なにかと覗いて見ると清潔な腰巻ひとつで座禅を組み何やら祈りをささげる聖者の姿がありました。バーバンクの部下の一人が言います。「"山とは単なる岩と氷だけのものではない、それ以上のものである。山の征服とは己自身の征服にある"とあの聖者が言っています。そして必要なら登頂の手助けをするとも」
バーバンクは意に介さず「日がな麓でのんきに座っている老いぼれのいかさま師に教わることなどあるものか。さあ出発するぞ」と目指す山に向かうのでした。半死半生の思いの道程でしたが二か月後のある朝ついに頂上が見えてきました。先を行く部下に先頭を譲ってもらいバーバンクがまさに一番乗りを果たそうとしたその時、山頂に人の姿があることに気づきました。なんと麓にいたあの聖者が泰然と座禅を組んでいるではありませんか。優しい目をした聖者も、さすがに疲労困憊の白人達を見て目を丸くして言いました。
「どうやってここまで上がっていらしたのですか?もしや、ここまで歩いてこられたのですか?!」

おしまい。

ある目標を達成するのに、国により、企業により、人により、その方法は異なることがあるというのを申し上げようと思い、昔読んだこの小説を思い出しました。
今回も当社が独自集計した数字で最新のIR・ディスクロージャーの英文化状況を見ていきます。

驚異的な伸びを見せた英文招集通知

図1 英文招集通知制作状況推移(東証1部)
図1 英文招集通知制作状況推移(東証1部)

※(注)英文招集通知や決算短信の制作においては、日本語版の招集通知または決算短信のどの部分を英訳するかという編集方針が企業によって異なるため、出来上がった英文招集通知や決算短信の内容・分量は各社異なりますが、今回のグラフではその内訳表記は割愛しています。

予想されていたとはいえ実際の数字を見るとその伸びに驚かされます。
前年(2015年9月)に28%伸びて549となった社数は、今年(2016年9月)にかけ65%増の903社になりました。全体の30%超を占めている外国人投資家層への配慮という表向きの理由もありますが、実態は2015年6月施行のコーポレートガバナンス・コード(補充原則1-2 ④)への対応というのが正直なところでしょう。開示割合でみても1部上場企業の46%に達しています。

図2 2016/9 英文招集通知 外国人持ち株比率別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図2 2016/9 英文招集通知 外国人持ち株比率別制作状況(N=1,973)(東証1部)

外国人持株比率別ではどうでしょう。持株比率10%未満では20%以下と非常に低く、10-20%で50%近くになります。そして20-30%では72%となり、30%以上のクラスタでは80%以上という結果となりました。肌感覚としてもきわめて妥当な結果で意外性はありませんでした。

図3 2016/9 英文招集通知 時価総額別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図3 2016/9 英文招集通知 時価総額別制作状況(N=1,973)(東証1部)

次に時価総額別ですが、これはきれいに英文招集通知の制作割合と比例しています。時価総額500億~1000億未満の企業の約半分が制作していますので、500億を超えてきたら手掛け始めるという感じでしょうか。

図4 2016/9 英文招集通知 ROE別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図4 2016/9 英文招集通知 ROE別制作状況(N=1,973)(東証1部)

そして非常に面白いデータがROEとの相関を見たもの。ROEの高低に関係なく全ての企業の制作割合が約40~50%となっていることから相関関係はほとんどないといっていいでしょう。低いと言われる日本企業のROEですが例えば、大方の企業目標である8%前後(4-8%および8-12%)をみると約50%であるのに対して、0-4%と16-20%が40%割れとなっており、ROEが高ければ英文招集通知を制作しているという訳ではなく、ROEの高低と英文招集通知の制作の関連性は見いだせません。以上のことからROEよりも外国人投資家や時価総額(高い企業は海外展開している場合が多い)が重要な動機づけになっていることが分かります。

むしろ伸び率が鈍化した英文決算短信

図5 英文決算短信制作状況 推移(東証1部)
図5 英文決算短信制作状況 推移(東証1部)

前年(2015年9月)に8%の伸びだった短信は、今年(2016年9月)は5%未満の伸びに留まりました。ガバナンス・コードには「招集通知の英訳を進めるべきである」(下線は筆者)と記されていますが、短信については個別には書かれていません*。従って、企業は招集通知の対応に追われて短信が後回しになっている、或いはすでに制作自体が飽和状態なのかも知れませんが、来年以降を見て行かないと真相は分かりません。ここで面白いのは圧倒的に先行していた短信の英訳に対して今年は招集通知の英訳が急接近したという事実です。短信993社に対して猛追した招集通知が903社。来年は招集通知が追い抜く勢いです。

*コーポレートガバナンス・コード補充原則 3-1②において英文開示を推奨していますが、開示書類の特定がありません。「上場会社は、自社の株主における海外投資家等の比率も踏まえ、合理的な範囲において、英語での情報の開示・提供を進めるべきである。」

図6 2016/9 英文決算短信 外国人持ち株比率別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図6 2016/9 英文決算短信 外国人持ち株比率別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図7 2016/9 英文決算短信 時価総額別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図7 2016/9 英文決算短信 時価総額別制作状況(N=1,973)(東証1部)

英文短信の制作社数と外国人投資家持株比率との相関、時価総額との相関は概ね比例しており、妥当な数値になっています。

図8 2016/9 英文決算短信 ROE別制作状況(N=1,973)(東証1部)
図8 2016/9 英文決算短信 ROE別制作状況(N=1,973)(東証1部)

ROEとの関連はどうでしょうか?0-4%の42%から12-16%の64%まで正比例しています。それ以外のクラスタは相関が見られません。概ね0%から16%の範囲ではROEが高いほど短信の英訳を進める傾向があると言えますが、それ以外は企業の個別事情に左右されているようです。

投資家に本当に訴求するものとは

ヒマラヤ登頂に近代装備を整え脚で登った英国の登山隊に対して、メディテーションの力で空間移動した(筆者の想像です)インドの聖者。これはお話の世界ですが、合理主義ばかりが最良の策とは言えないところに現実の世界の面白みがあるのかも知れません。
企業価値向上の策をよく投資家に理解してもらい中長期的な投資行動を期待したい企業。その方法は海外由来のIIRCガイドライン、オクトパスモデル、ROEなどKPIがいいのか、創業者が唱えた利他の精神や近江商人の三方良しなのか。西洋生まれで公官庁主導のダブルコードなどに追い回されたここ2,3年でしたが、ここらで立ち止まり一度ゆっくり考えてもいいのではないかと思いました。

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